
2025年ももう終わりとしていますが今年の一番のニュースはフェルナンデスの倒産でした。確定まで1年かかり、もしかしたら…と期待は裏切られ確定してしまいました。日本のエレキギターブランドとして強い存在感を放ってきたフェルナンデス。コピーギターの品質の高さから始まり、多くの著名アーティストの愛用、そして独自開発のサステイナーによる革新まで、その歴史は国産ギター史そのものと言っても過言ではありません。しかし、その華やかな道のりの裏側には、市場変動や経営環境の変化による衰退、さらには破産という結末。本記事では、フェルナンデスの歴史を創業から破産に至るまでわかりやすく整理し、ひとつのブランドの盛衰を辿ります。
【元々は斉藤楽器という名だった】
フェルナンデスの起源は1969年、斉藤楽器という名前でクラシックギターの卸売からスタートしました。日本国内でロックブームが広がる中、エレキギターの需要が急速に増えるにつれ、同社もエレキギター市場に参入。1972年には社名をフェルナンデスへと変更し、エレキギター専門ブランドとして本格的な展開を始めます。当時、海外のギターを模した国産メーカーが多数登場していた中で、フェルナンデスは高い製造精度と安定した品質で頭角を現し、特にフェンダー系を中心としたFERNANDESブランドと、ギブソン系を再現したBURNYブランドは市場で高く評価されていきました。
1980年代に入ると、日本製ギターは世界的に高品質として認められ、フェルナンデスもその波に乗って大きく成長します。1981年のカタログから発表されたTHE RIVIVALシリーズは1970年後半のJapanヴィンテージブームを牽引することとなります。1982年のカタログにはMusician’s Limited Series エリッククラプトンモデルのエクスプローラータイプ、デイブマーリーモデルのストラトタイプ、ジェフベックモデルのストラトタイプ、マイケルシェンカーモデルのフライングVタイプ、ジミーペイジモデルのダブルネックSG、ジャコパストリアスモデルのジャズベース、ニールショーンモデルのレスポールタイプ、ヴァンヘイレンモデルのストラトタイプ、ポールマッカートニーモデルのリッケンバッカータイプベース、リッチーブラックモアモデルのストラトタイプ、矢沢永吉モデルのオリジナルベースと海外アーティストを中心に展開。
1980年後半には布袋寅泰モデル TE-95 HT、M-120J (44 Magnum Jimmy モデル)をはじめ、X (JAPAN)のYOSHIKIモデル、hideモデル、PATAのモデル、HEATHモデル、今井寿(Buck-Tick)モデルギター BT-120MM, STJ-80BT, BT-115S with Sustainer, 星野英彦(Buck-Tick)モデル BT-110HHなど次々とアーティストモデルを発表。当時アーティストモデルといえばESPと双璧をなすブランドに認知されていきました。
この頃、布袋寅泰やhideなど、日本のロックを象徴するミュージシャンたちが同社のギターを使用し始めたことがブランド力を一気に押し上げました。特にBURNYレスポールやTEJ(布袋モデル)、さらにhide愛用のMGシリーズは若いギタリストの憧れの的となり、未だなお音楽シーンに強烈な印象を残しています。
フェルナンデスが他社と一線を画した大きな要因が、独自技術のサステイナーです。これは弦の振動を専用ドライバーで拾い、内蔵回路で増幅し、再び弦に振動として返すことで、音を減衰させず無限に伸ばし続けるというシステムです。従来のエレキギターでは実現できなかった表現力を可能にし、多くのアーティストの演奏スタイルに革新をもたらしました。FR、Revolver、MGなど、サステイナー搭載モデルはフェルナンデスの象徴とも言える存在となり、プロからアマチュアまで幅広い人気を集めました。


【あの時最初のギターといえばみんなフェルナンデスだった】
1990年代から2000年代初頭にかけては、フェルナンデスの全盛期でした。売上は40億円を超え、国産ギターブランドとしても最大級の規模を誇るようになります。世界市場にも積極的に展開し、単なるコピーギターのメーカーではなく、独自ブランドとしての地位を確立しました。しかし、この黄金期にも陰りが忍び寄っていました。
市場の変化が大きな転機となったのは、中古ギター市場の急拡大です。1990年代後半以降、中古ギターの流通は一気に広がり、良質なフェルナンデス製ギターが中古で豊富に出回るようになりました。その結果、新品の需要が徐々に落ち込み始めます。さらに、海外メーカーによる低価格帯モデルの増加や国産ブランド同士の競争激化も重なり、フェルナンデスは以前のような販売数を維持できなくなっていきました。
2000年代後半から2020年代にかけては、ギター市場全体の縮小傾向も加わり、フェルナンデスの経営は厳しさを増していきます。2022年の売上は1億6000万円台にまで落ち込み、最終赤字も続きました。そして2024年7月、ついに事業停止および破産申請準備が公表されます。この時点で負債額は4億円超とされ、事業継続は難しい状況にありました。
その後、いったん破産申請は取り下げられたものの、経営状況は改善されず、2025年7月に東京地裁から正式な破産開始決定が下されます。負債総額は7億円超、約60社への債務が残され、フェルナンデスは事実上の倒産となりました。長きにわたり日本のギター文化を支えてきたブランドが幕を閉じた瞬間です。
【一縷の望みをかけても良いのか】

しかし、完全に消滅したわけではありません。破産手続きの中でフェルナンデスの商標権の一部は2025年3月19日に、台湾の宏寰貿易股份有限公司という企業が、「ギターアンプ」を指定商品にしてFERNANDESのロゴを日本で商標登録出願。つまり譲渡されており、台湾にて将来的なブランド再興の可能性が残されています。過去にも、日本の楽器ブランドが別会社の手で復活した例は多く、フェルナンデスもどこかのタイミングで再び市場に戻ってくる可能性があります。独自機構のsustainerの人気は高く、オリジナルのRAVELLEも海外のアーティストに人気です。
フェルナンデスは、コピーギターの枠を超え、アーティストと共に歩み、独自技術によってギターの表現の幅を広げたブランドでした。その功績は今もなお、多くのギタリストの手元に、そして音楽ファンの記憶の中に残り続けています。破産を経た現在でも、フェルナンデスのギターが持つ魅力と存在価値は決して失われていません。
著者 マイスター大崎

チバカン楽器 代表
ESPミュージカルアカデミーギタークラフト科リペアコース卒業後 ヤマハミュージックトレーディング内にてMARSHALLの修理会社の門をたたく。
勉強不足を感じ退社後 ROLANDの修理会社にて10年間ほどアンプ、エフェクターの修理業に従事。
退社後 地元の大型複合リサイクルショップ【千葉鑑定団】へ入社。店長を経験後 楽器専門【チバカン楽器】を立ちあげ今に至る。
愛機はFender TelecasterBass1969 、Chaki ウッドベース、
他ジャパンヴィンテージのギターを多数所持。趣味は【H2Y Labolatory】名義でエフェクターの改造や製作をしている。
電線や古いコンデンサー好きで特にオイルコンデンサーの匂いが好き。エロくて変態ということはベーシストの特徴。










